温度差

最近、迷える子羊たちから相談を受けました。
年頃の男女の悩みといえばだいだい恋愛相談です。
恋愛の悩みというのは、時に、人生において最も大きな悩みごとになることがあると思います。
他の悩みっていったら、仕事とか、お金、病気とかでしょうか。
おそらく、恋愛というものは他の悩みを補完してくれるものなんだと思います。
恋愛がうまくいっていれば、やたら仕事にパワーを発揮したり、
愛があれば金なんていらね〜とか、
病気のときとかに好きな人の支えがあれば少しは元気がでるかも知れません。
また恋愛がうまくいっていないときは、
仕事に集中できなかったり、
気晴らしのためと無駄遣いをしてしまったり、
寝れなくなったり、
と他の悩みを誘発してしまうこともあるでしょう。


私自身の過去の話ですが、5年くらい前に入院したことがありました、
入院をきっかけに、付き合いが始まり、成就したという友達の話を聞いたせいか、
また、退院後に看護師さんと付き合ったという話を聞いたせいか、
苦しみながらも、なんだかわくわくしながら入院生活を送っていました。
40度の熱で苦しんで入院したにも関わらず、
手術の成功確率が極めて高い病気だったこともあり、
当時の私は苦しそうな顔をしつつも私の心の中はわくわくでいっぱいでした。

そこで、めっちゃタイプの看護師さんと喫煙所で遭遇。
愛煙家でよかった〜と胸を躍らせながら、
医者に喫煙を止められているにもかかわらず、
暇があれば、喫煙所に足を運んでいました。
医者が言うには、たばこを吸っていると、手術後がめっちゃ苦しいからとのことでした。

しかし、当時の私はその程度の脅かしにひるむわけもなく、
規則正しく喫煙所に通っていました。

次第に会話を交わすようになり、
もうしばらく入院していたいと不謹慎なことすら思ってしましました。

手術前日のこと
「明日、手術ですよね。がんばってくださいね。絶対うまくいきますよ。私も祈ってますから」
この言葉で完全に
手術<恋愛
という状態になってしまいました。

入院中にたばこの本数は激増していきました。
私の場合、入院時には悲惨な状況でしたが、
入院後はすっかり元気になってしまい、
手術を待つただの健康そうな人になっていました。
病院で恋愛する不謹慎な人のが適切かもしれません。
でも完全に恋愛のおかげで病気を克服してしまいました。

手術を無事に終えた後、
たばこを吸いすぎた罰が当然のごとく襲い掛かりました。
せきがやたらでるし、
たんはからまるし、
息苦しいし、
その度に傷口に激痛が走りました。
手術を終えて完全に健康な人になってしまった私に待つのは退院だけです。
時間がない私は激痛に耐えながら、規則正しく喫煙所に通っていました。

退院の日が迫ってきたある日のこと。


「手術無事成功したんですね。よかった〜」


チャンス!今しかない!と思い、電話番号を聞きました。
ここで思いがけない衝撃の言葉が返ってきました。


「私、携帯持ってないんです。じゃあ仕事戻ります」


5年ほど前のことです。
携帯の普及率はかなりのもんだったと思います。


唖然とした私は、


「あっ、携帯持ってないんや〜、携帯って便利やで〜」


と、とぼけた返しをするのが精一杯でした。
喫煙所に行けなくなった私は退院するまで禁煙してしまいました。
「たばこやめたん?」
と、となりのおっさんや他の看護師に言われ、
「はい、たばこは身体によくないですよね」

こんなのは失恋のうちには入らないでしょうが、
しかしながら、一時は恋愛によって病気を克服していました。

話を本題に戻します。
恋愛の悩みと他の悩みとの大きな違いは、
自分だけではどうにもならないということです。
全てが当てはまらないこともありますが、
仕事は、努力すれば少しは成果が上がります。
お金は、節約すればその分だけ貯まります。
病気は、薬とか病院、健康的な生活習慣により良くなることもあります。
すなわち、他の悩みは自分自身の行動によって、
幾ばくかは改善させる方法があるのです。

恋愛と他の悩みの大きな違いは、
恋愛には相手があるということです。
相手があることなので、思い通りにならないのです。
自分がよかれと思ってとった行動でも相手にとっては必ずしもよいとは限りません。
つまり、他の悩みに比べ、
自分自身でなんとかできる割合が少ないということだと思います。
また、他の悩みは答えとか経過、成果を自分自身で知ることができます。
しかし、恋愛は相手あってのことなので、
相手の考えていることを想像はできたとしても真意を知ることはできません。
その想像の中での不安が悩みになってしまいます。
恋愛の悩みの多くは、
相手が振り向いてくれなくて、
相手の気持ちがわからなくて、
こんなに好きなのになんで、
etc・・・
こんな感じでしょうか。
不安と悩みが交互にやってきてどんどんどんどん落ちてしまいます。
デフレスパイラルみたいな感じでしょか。
脱線しますが、
世界経済はスタグフレーションに向かってるんでしょうかね〜
恐ろしいですね〜
景気が悪くなるとますます悪循環になって、
迷える子羊たちが増えそうです。
そんなときこそ、
仕事とお金の負の部分を補完してくれるような恋愛がしたいものです。


「女は押しに弱いもんや」ともてる人たちはあっさり言います。

エリ「少しは引くってことを覚えなさいよ!」ラスト・フレンズ第10話から引用。
どっちが正しいんでしょうか?

これもようは相手次第なんだと思います。
そこで、子羊たちの恋愛相談を受けていて感じたことが、

「温度差」の違いです。

うまくいっていない恋愛相談の話は温度差がありすぎるのです。
出会ったときから温度差がありすぎると恋愛に発展することはないと思います。
出会った瞬間から魅かれあって、付き合ったらやっぱうまくいって、そのままゴールイン。
温度がバチッと合いまくっていたんでしょう。
温度差がある状態で押しても相手はあなたのことを熱がるかも知れません。
相手が凍えている時にはあなたの情熱を受け入れてくれることもあるかも知れません。
つまり、相手次第、さらには状況次第


相手の温度ってのはわかりにくいものです。
しかし、自分の温度はわかります。

温度差を感じたら時は冷静になって、
少し自分の温度を冷ましてあげたほうがいいかもしれません。
もしかしたら、少しは温度差がなくなるかも知れません。

恋愛で悩んでいる状態はすごくつらいと思います。
しかし、相手にも相手の生活があり、
あなたの想像しない他の悩みを抱えてそれどころじゃないかもしれません。
温度差がない状態が一時でもあった恋愛の場合はなおさらつらいでしょう。
楽しかった思い出が走馬灯のように襲いかかってくるでしょうし、
相手の言葉、行動を思い出しては、過去の思い出と現実にがっかりし、
あのときこうすればよかったとか、
あんなこと言わなければよかったとか、
相手の考えていることを想像したり、
推理したり、
をぐるぐるぐるぐる回っているんだと思います。


迷える子羊には残酷な言葉かも知れませんが、
あえてはっきりいいます。


無駄です。
ほとんど意味がありません。
気力体力を消耗するだけです。
女性の場合、特に肌に悪そうです。
エロ詩吟でも考えた方がまだましです。


エリが言うように引くことも大切だと思います。
いつまでも答えのでない悩みで気力体力を消耗させるより、
いつか温度差が縮小することがあったときのために準備をしましょう。
今のままではおそらくそのチャンスを逃してしまうと思います。
もしも今より魅力ある自分になってさえいれば、
そのときは温度差が一気に縮まるかもしれません。
あるいは温度の近い全く別の人と出会えるかもしれません。
悩んで悩んで沸騰状態では誰も熱くて近づいてきてくれないと思います。
悩める子羊たちも過去の恋愛において、
好かれる側にたったこともあったでしょうし、
そのときにそっぽ向いたこともあったでしょう。
「こいつしつこいわー」とか、
「今忙しいねん!」とか、
「この人ちゃうわー」とか、
相手の温度を受け入れられなかったことがきっとあったでしょう。


「あると思います。」


相手はさぞ悩んだことでしょう。
その相手の悩みをどれだけ考えてあげましたか?
今の自分の悩みばかり考えずに、
過去の罪を思いおこして懺悔でもしましょう。
きっと呪いも解けますよ。


私が失恋で悩んでいたときに、ある人に言われた言葉があります。


「縁がなかってん」


幸せの絶頂の人にはるか上の方から言われ、
正直かなりむかつきましたが、
なぜかすっきりしました。


仕事がら絶対という言葉はあまり好きではありませんが、
あなたはいつの日か絶対に恋愛をします。
恋愛のよさを知っているからそんなに悩むのです。
相手は誰かはわかりませんが、
そのときの恋愛が成就するためにも一時も早く準備を始めるべきです。


恋愛がうまくいかなくて、凹んでるときには、暗くなって何もやる気がなくなってしまう人がほとんどだと思います。


しかし、どんなにつらいことがあっても、明るくふるまって、我慢強く何かにうちこんでいる人もいます。


あなたはどちらの人に好意を持ちますか?

見返りを求めたらあかん!

見返りを求めたらあかん。


中学生の時だったと思います。こんなことを母に言われたことがあります。


その時の状況を今でもはっきり覚えています。
母にお金を貸して欲しいといって訪ねてきた人がいました。
頼んできた人が吹雪の中をバイクで訪ねてきていたことを考えると、よほど逼迫した状況だったんだと思います。
その人はすごく感謝して、必ず返しに来ますといって帰っていきました。


私が居間でテレビを見ていたときに、急に起こった出来事でした。
当時の私にとっては、衝撃的な事件で、そんな状況にあるその人をかわいそうだと思い、あっさりとお金を貸した母を誇らしく思った記憶があります。


その人が帰った後、母にそのことを聞くと、
母は貸したのではなく、あげたのだと言っていました。


理解できなかった私は、その意味を聞くと、
母は、貸したら返して欲しくなるし、返ってこなかったら相手を憎むことになる。
「あんたも友達とか弟になんかしてあげても、返して欲しい思たらあかんで。
それやったら最初から何もせえへんほうがましや」
こんなことを言われたと思います。
また、お金をあげることは必ずしもいいことではない。とも言っていました。


日常の生活の中で、誰かに何かをしてあげることがあります。


こないだ奢ったんやから、今度は奢ってくれるやろう。
これだけの時間を割いて一生懸命に営業したんだから今度は契約してくれるだろう。
これだけのプレゼントをしたんだから、振り向いてくれるだろう。


とついつい期待をしてしまいます。


しかし、時にその期待は裏切られます。


いっつも話聞いたってるやん?
あんだけ喜んでくれてたやん?
前に約束したやんか?
こちらは御社のご希望どおりの条件を提示しました。それなのになぜ?話が違うんじゃないですか?


無償の愛情、無償の友情、無償の仕事


こんなことをできるのは、マザーテレサかトキ(北斗四兄弟の次男)くらいでしょう。


最近、恋愛・友達関係・仕事でいろいろなことが起こりすぎました。
私はそのどれもがうまくいくことを期待して行動していました。
うまくいくにはどうしたらいいか?というのを考えすぎていたのかもしれません。
しかし、自分の思い通りにいくことなんてそうありません。


今日、はるか昔の母の話を思い出せたことを感謝して、
明日からは、自分のする行為に対する見返りは求めず、誰かがしてくれる行為に感謝の気持ちを忘れず、日々の生活を楽しんでいくことにします。


あっ・・・。
あかん、貸したものを返してもらうのが仕事やった・・・。

「売れすぎて困ってるんですよ。」

今日、すごく心に残る言葉を聞きました。
商売においてモノが売れるというのはいいことです。


「売れすぎて困ってるんですよ。」


業績の良い会社の社長と話していると、よく耳にするフレーズですが、困っている要因は


1、税金の問題
2、増加運転資金の問題
3、供給が追い付かず仕入先との交渉に難航する
3、機会損失が生じる


こんな感じだと思います。
実際、これらは全て当てはまるとのことでしたが、その社長の悩みはこれら目先のことではなくもっと先を見ての悩みでした。


「急な売上増は将来の過剰在庫に繋がる可能性が高い。」


バンダイはたまごっちが売れすぎたせいで、業績が急激に悪化したこ
とがありました。
バンダイの倉庫には売れ残った、たまごっちが山積みだったそうです。


私が感銘を受けたのは次の言葉でした。


「売れすぎる商品は営業をダメにする。」


売れすぎる商品というのは営業担当者に自分の力で売っていると錯覚を起こさせることがあり、営業担当者の成長を止めてしまうことがあるという理由でした。
逆にモノが売れないときには、営業担当者はどうしたら売れるのかを考え、悩み、創意工夫し売れるために努力するということでした。
全ての会社の営業担当者に当てはまることではありませんが、その会社の営業担当者はまだ成長段階にあり、今回の件でその成長を止めてしまうのではないかとの懸念をお持ちでした。


この社長のような地に足がついた先を見据えた経営は、外部環境の悪影響に揺るがない企業を創り、従業員・取引先等の利害関係者にもいい影響をもたらすと思います。

続・両親のつくった家庭

昨日の続きです。
子供の頃はそんな感じに思っていました。
しかし、歳をとるとともに、だんだん親の本当の姿が見えてきました。

私の父は、中学生の頃にお父さんを亡くして、母一人子一人の貧しい暮らしの中、高卒で会社に入って私の祖母を養っていたそうです。
私の母もまた高卒後、歳の離れたお姉ちゃんのとこで、結婚するまで洋裁をしていて休みは月に2回しかなかったそうです。
2人とも恋愛してるまなんてなかったんでしょうね。
見合いで両親が出会えたことが、ロマンチックに思えました。

子供の頃は、「うちは貧乏やー」と思っていましたが、よくよく思いかえすと、贅沢じゃなかっただけです。
友達の親と比べて、かっこ悪い親だと思っていましたけど、かっこつけない親だったんです。

父もキャッチボールしたかったのに、ヘルニアとかになってたんで、したくてもできなかったんです。悪くしたら、家庭を守れなくなりますから。
こないだ、家に帰ったときも朝まで仕事をしていました。60歳超えてるのに。私が子供の頃も、休みの日にずっと仕事をしていました。
苦手なゴルフのせいで腰を痛めても、ひたすら練習していました。仕事のために。
今はゴルフきちがいになっていますが。

母は母で僕が子供の頃に家に帰るとずっと、肩こりをこらえながら洋裁をしていました。家には工業用のでかいミシンとたくさんの物差しがあって、私が弟をしばくと、よくその物差しでしばかれました。
自分でつくった服で参観日に来ていた母は、ブランドで華やかなに着飾った友達のママより、実はずっとお洒落でかっこよかったんだと思います。
隣のお姉ちゃんの結婚式にはウェディングドレスをつくってプレゼントしていました。
今は造野菜に熱中していますが。

歳をとるにつれて、こんな両親がすごくかっこよく見えるようになれました。
美容師になった弟は手先の器用さと真面目さを両親からもらったんだと思います。
私は近眼と肩こりと出っ歯をもらいましたが、それもまあいいかなと。

私の両親がつくってくれた家庭は、しんどくても我慢して、私と弟に不安を与えないように、じっくり大切につくった家庭なんだと思います。
「両親のつくった家庭」
ほんの少しだけその重みがわかるようになった気がします。

両親のつくった家庭

友達が新郎の挨拶のとこで、
「両親のつくったような家庭をつくりたい」
っと言ったのを聞いたそいつのおっちゃんとおばちゃんは号泣でした。
そこで私も私の両親のつくった家庭について考えました。

恋愛結婚>見合い結婚
子供の頃の私の頭の中にはこんな不等式がありました。
私の両親は見合い結婚です。
子供ながらに、よその両親が恋愛結婚だと聞くとどっかで敗北感がありました。
「なんでうちの親は恋愛結婚じゃないんや!」

私の父と母は当時としては、結婚が遅かったので、物心ついた時には既におっさんとおばはんでした。
参観日とかで私の母は完全に浮いてました。参観日に順番にいろんなお母さんが入ってくるのを見ながら「おばはん増えろ!」って祈ったこともあります。だれそれちゃんの若い綺麗なママを羨ましく思いました。
「なんでうちのおかんだけ若くないんや!」

私の父は私が小学生の頃には既に40肩+腰痛を患っており、キャッチボールは少しの時間しか付きあってもらえず、帰ってくるボールも下から放るからゴロなので(肩が痛くて上から投げられない)ほとんどキャッチボールとして成り立っていませんでした。
近所のおっちゃんに教えてもらったこともありましたが、どうしてもそこの子供と3人とかになるので、子供ながらに気はつかうし、その親子が水入らずでキャッチボールをしたところを見るとついつい、
「キャッチボールなんておもろないわ!」

うちの父は、今でもそうですが、車の運転が超下手です。
父の会社の人の家族と合同で旅行に行った時とかでも、他の家族の車にすぐ放されてしまいます。当然のごとく道も知らないので、よく迷子になって母が隣で必死に地図を見て(母は地図が読める女です)、なんとかリカバリーするも、到着時刻に遅れて他の家族から冷たい視線を浴びることもしばしば。さらに弟もふくめて全員車酔い。
「旅行なんて行きたない!」

今のとこ、ただの親の悪口になってますが、疲れたので、
次回へ続く

結婚式で漫才をしました!

友達の結婚式に行って来ました。
ほんまに和やかな雰囲気のえー結婚式でした。

だいたいの結婚式ってのは、新郎の親族、新婦の親族、新郎の友人、新婦の友人、新郎の会社の人、新婦の会社の人って席があります。私の経験上。
で、だいたい新郎の会社の人席の勢力が強いことが多いような気がします。私の経験上。
以上を基本形とすると、昨日のは随分といびつな形でした。
新郎の親族席以外に、人が多すぎて窮屈そうな新郎の近所のおっちゃん、おばちゃん席てのがあって、、まあその勢力の強いこと強いこと!まあ、その中に私の両親もいてましたが・・。
ビールを注ぎに行くと、「次はあんたやな!いつすんの?」「えー人おらんのかいな?」新婦の友人席を指差して、「あの子べっぴんやわ!あの子にしとき!」新婦の親族席とはや打ち解けた様子で「この子、○○さんとこのお子さん、そっちで誰かえー子おれへん?」好き放題です。

少しさかのぼって式場に到着した時の話。
誰かおれへんかなーと紳士控え室に行くと、振袖姿の女性が着付けをしてもらってたんで、ありゃ間違えたかな?と思い「失礼、失礼」と部屋を出ようとすると、
「おー、○○ちゃん!(わたしのこと)」
私「はい?」
友達が女装してるやありまへんか。
私「おまえ何しとんねん!」
友達の後ろで帯をぐいぐいしてる着付けのおばちゃんからひとこと、
「あんた、遅いなー、もっとはよ来なさい!」
私「お、おかん!何しとんねん!」

前回、宣言したように余興で漫才をしました。
結果から。漫才は難しい・・・。
最中に、司会者ストップが二度ほど入りました。
「あのー楽しい余興の最中なのですが、そろそろ〜」「先ほども申し上げましたが、そろそろ〜」
そこで、余興で漫才を考えている人へのアドバイス
1.前もって司会者と時間の打ち合わせ!
2.練習のときには時間を計ろう!
3.マイクは一人につき一つ!
4.出番まではお酒は極力控えること!
5.ウケる予定のとこでウケなくても気にするな!個別の箇所より全体的なまとまりが重要!
6.華麗なる一族ネタはウケない!(視聴率の割にはあまり見られていない!)
私「ふざけるな!クーデターじゃないか!」←ぎばちゃん風で(最終話後編より引用)
客「・・・・」
7.想定外のところでウケたときの笑い待ちに注意!
8.最後には感動にもっていくこと!

もう一回チャンスをくれーというのが本音です。
まあ、新郎の両親からは泣きながら「あんたらありがとうなー。ほんまうれしくてうれしくて・・・」
新婦側の両親からは「あんたら吉本行きーな」
といった暖かい励ましのお言葉をいただきましたので、結果オーライということにしときましょうか。

2次会、3次会と続き、眠くなってきた時にこの言葉を思い出して、自分自身を慰めていました。

男の順序

一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず批判だけしている者
(薩摩の教え)

昨日の私は「二」ですな。
まずまずやんか。

結婚式で漫才します

今日は酔っ払いながら書いてます。
酔っ払い運転はダメですけど、酔っ払い日記はいいですよね。
今度、友達の結婚式の余興で漫才をすることになりました。
高校の友達3人で。
3人漫才といえば、誰でしょうか?
だちょう?ホットブラザーズ?
3人ってけっこうむずいんです。
ボケ1人、ツッコミ2人、これがスタンダードですかね。
相方の一人は今必死になって、M1を冷静に見ています・・・。
テンポをつかむために。
私はM1を見てる相方を見てます。
あっ今、トータルテンボスでやっと笑ってくれました。
フット、麒麟ではニコりともしなかったのに・・・。
と、相方の好みを観察しています。
ネタを考えるためには相方の好みは重要です。
チュート・・・。ややうけです。
こいつは確かに高校の時めちゃおもろかったです。
でも10年たって笑いにシビアになっているようです。
あっ、笑い飯で今日一番の笑いがでました。
どうも、かぶせていくのが好きみたいです。
ちなみにその結婚式には私の両親もいてます。
新郎が実家の隣の子、つまり私の幼馴染なので、家族ぐるみの付き合いなんです。
親が参加の結婚式で漫才・・・、めったにないシチュエーションです。
もし、スベったら私の両親は一生、近所の人に後ろ指を指されます。
そんな親不幸はしたくありません。
なぜ、漫才をすることになったのか?
10年くらい前にもう一人の相方と高校の文化祭で漫才をしたのですが、ほとんどうけませんでした。
笑いを知らない客が悪いとは思いましたが、私にとってはトラウマになっていました。(馬を見て虎だと思うくらいの心理状態のこと)
そのトラウマを払拭できるいい機会だということ、3人で漫才する機会なんてもうないといったことが理由です。(1. 高校のときは、1人はクラスが違っていたので、一緒にできなかった。  2. 3人が同時に呼ばれる結婚式はもう2度とない。 3. 3人の内の誰かの結婚式には誰かが新郎なので、3人ですることはできない。)
漫才ブームは追い風になってくれるか?
カラオケにいって、歌わずにひたすら漫才の練習をする3人。
家に帰っては、M1見て漫才の雰囲気を感じ取る相方。明日の仕事後のデートのために体調を維持しようとさっき帰っってしまったもう一人の相方。日記を書き連ねる私。
ただいまの時刻は1時30分、
相方が寝てしまったのでそろそろ寝ることにします。
・・・オチが無ない!