続・両親のつくった家庭

昨日の続きです。
子供の頃はそんな感じに思っていました。
しかし、歳をとるとともに、だんだん親の本当の姿が見えてきました。

私の父は、中学生の頃にお父さんを亡くして、母一人子一人の貧しい暮らしの中、高卒で会社に入って私の祖母を養っていたそうです。
私の母もまた高卒後、歳の離れたお姉ちゃんのとこで、結婚するまで洋裁をしていて休みは月に2回しかなかったそうです。
2人とも恋愛してるまなんてなかったんでしょうね。
見合いで両親が出会えたことが、ロマンチックに思えました。

子供の頃は、「うちは貧乏やー」と思っていましたが、よくよく思いかえすと、贅沢じゃなかっただけです。
友達の親と比べて、かっこ悪い親だと思っていましたけど、かっこつけない親だったんです。

父もキャッチボールしたかったのに、ヘルニアとかになってたんで、したくてもできなかったんです。悪くしたら、家庭を守れなくなりますから。
こないだ、家に帰ったときも朝まで仕事をしていました。60歳超えてるのに。私が子供の頃も、休みの日にずっと仕事をしていました。
苦手なゴルフのせいで腰を痛めても、ひたすら練習していました。仕事のために。
今はゴルフきちがいになっていますが。

母は母で僕が子供の頃に家に帰るとずっと、肩こりをこらえながら洋裁をしていました。家には工業用のでかいミシンとたくさんの物差しがあって、私が弟をしばくと、よくその物差しでしばかれました。
自分でつくった服で参観日に来ていた母は、ブランドで華やかなに着飾った友達のママより、実はずっとお洒落でかっこよかったんだと思います。
隣のお姉ちゃんの結婚式にはウェディングドレスをつくってプレゼントしていました。
今は造野菜に熱中していますが。

歳をとるにつれて、こんな両親がすごくかっこよく見えるようになれました。
美容師になった弟は手先の器用さと真面目さを両親からもらったんだと思います。
私は近眼と肩こりと出っ歯をもらいましたが、それもまあいいかなと。

私の両親がつくってくれた家庭は、しんどくても我慢して、私と弟に不安を与えないように、じっくり大切につくった家庭なんだと思います。
「両親のつくった家庭」
ほんの少しだけその重みがわかるようになった気がします。